ひとつの街の建物群が、都市の建物群が、ぜーんぶ同一色になったらみなさんどう思いますか?
一昨年だったか、宮崎市内のとある建築材料代理店主催のメーカー新商品発表会みたいなものに参加した。
その中でM大学の教授だったか助教授だったか忘れたが、氏による建築の色彩についてのセミナーも同時に行われていたので、参加してみることに。
オッサンはマシンガンのように話しはじめた。
まずは自己紹介。
たしか「国際色彩学会」だったか、そんなような会に所属しているみたいなことを言っていた。
あとは、1年以上も前のこと、顔も名前も忘れたが、色彩を専門とするオッサンである。
いやがおうにも着てる服などの色使いだけは覚えている。
その中でもネクタイ。そのネクタイじゃあ、オッサン説得力ないよ。
まー、専門は建築色彩だから百歩譲ってそれはよしとしよう。
「フランスのある都市(都市名は忘れた)では、新築増築改築にかかわらず法律で建物の色の制限があるんですねー。
日本のように勝手に好きな色を使っちゃいけないんです。
この法律のおかげで都市の景観がみごとに調和、統一されてるんです」
ほぉほぉ、なんか聞いたことはある話である。
おそらくその他の都市でも似たような法律もあるはずだ。
ここ宮崎の条例でも、ある地域でのある規模以上の建物や看板は、市との事前相談が必要であり、計画物件の外壁等の色彩計画を提出しなくてはいけないという決まりがある。
オレも過去に事前相談をしたことがあるが、提出物についての協議は皆無だったような気がする。
色とかデザインとかそんなソフト的な話しに発展しないのである。提出さえすればオッケーみたいな感じだったような気がする。
宮崎市の建築に対する姿勢が如実に現れている。いや、宮崎市だけではなく、日本の全ての都市においておそらく同じ状況だと思う。
つまりフランスのその都市で景観が成功していたりするのは、建築の、都市への市や住民の意識の高さによるものではないかということである。
話しがそれたが、さてオッサンの話しの続きである。
「成功している都市では、日本のように建築家や設計士のエゴによる派手なカラーリングがされてないからなんです。
黒とか赤とか黄色とか原色をつかうことでしか自己のアイデンティティをみいだせないような建築家がはびこっているから、景観を壊してしまうのです」
言葉尻は多少違ったかもしれないが、そんなようなことを言っていたのは間違いない。
「JAアズムホールをみてください。あのグレーの重圧感。誰が設計したのか、醜いですねぇ」
「大淀川沿いの真っ黒な建物ありますねぇ、最悪ですねぇ」
「他にも今この窓から見えるアレだとかソレだとか…」
おー、言ってくれるねーオッサン。
そこまで公衆の面前で言い切れるのはあっぱれ!
でもねオッサン、アンタのネクタイがやっぱり一番最悪だよ。
それにね、黒や赤や黄色のどこが悪いの?そりゃアンタは今まで何百何千の市民アンケートをもとに、立証されたデータという強い味方があるかもしんない。
でもね、アンタの推奨する白やベージュで街が統一されたらどんだけ味気ないか。きっと街が死んじゃうと思うよ。
先にも言ったそのアンケートに参加した人の意識の高さやセンスの問題も大アリだね。
「調和とは反発である」と岡本太郎が言っていた。
白やベージュで統一された都市が調和のとれた都市の成功例なら、きっと”太陽の塔”は異物でしかあり得ないだろうね。
まっ、出来た当時はみんな異物と思ってただろうけど、今でも残ってるのは何でだろうね?
アンタが、コーディネートした宮崎駅南側のマンションのカラーリング、ありゃ最悪だね。
ファサードが単に同系色でグラデーションしてみただけ。建物のカタチはカラーリングと全く関係付けされていない。つまり”はりぼて”ってやつだね。
日々の体型つくりとその人が醸し出すエキゾチックな雰囲気を持ち合わせた人が、着るからこそパリ・コレのモデルはかっこよく見えるのだよ。
表層だけのデザインじゃ、ちゃんちゃらおかしいんだよ。わかるかい?
アンタは建築に首つっこむのやめときなさい。
宮崎市長に助言するのもやめときなさい。
そして、まずは自分のネクタイのカラーリングから勉強しなさい。